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根津嘉一郎の銅像
根津嘉一郎は、1860年甲斐国山梨郡正徳寺村、現在の山梨県山梨市に生まれました。東山梨郡役場の職員や、村議会議員、村長などを務め、明治30年代に東京へ行きました。
東京で、山梨県出身の若尾逸平や、雨宮敬次郎と知り合い、甲州財閥を作りました。1905年には、東武鉄道の社長になりました。多くの会社の社長となりました。
ただ儲けることだけでなく、社会に還元すべきという考えから、多くの寄付をしました。特に教育面において、多額の寄付、貢献をしました。1922年(大正11年)には、旧制武蔵高校、現在の武蔵大学を創立しました。1933年(昭和8年)に、山梨県内の全小学校へピアノ、人体模型、顕微鏡、ミシンなどを贈りました。このピアノは、後に山梨県民が、感謝と根津嘉一郎への尊敬の意味を込めて、「根津ぴあの」と呼ばれました。この根津ピアノは、現存しており、2008年10月11日に会館した、根津記念館に展示してあります。
(根津記念館は、万力公園から南に、1kmほどの場所にあります。)根津嘉一記念館の詳しい地図は、このページ゙の一番下にもありますが、今すぐ見たい方は、こちらから、どうぞ。(別ウィンドウでヤフーの地図が開きます。)
展示されている根津ピアノは、旧山梨県東山梨郡大和(やまと)村立大和小学校天目(てんもく)分校に残されていたものです。
山梨市の人間は、根津嘉一郎のことを、親しみを込めて、「根津さん、根津さん。」と呼びます。私も、小さい頃に、祖父から「根津さん。」の人柄や、鉄道の事、寄付のことなどの話を、たくさん聞きました。
根津嘉一郎銅像は、1933年(昭和8年)に建てられました。
根津嘉一郎銅像はとても大きいですよ。写真を見てください。
この写真だと、比べるものがありませんね。
これで、どうでしょう。大きさが分かりますか?大きいですね。
この写真の、右上が根津さんの銅像の台座です。足がちょっと写っていますね。ソフトクリームの看板が1mくらいですね。
大理石でできている台座の高さが、12mほど、といいます。
根津嘉一郎の銅像自体は、5mほどです。
大きいですねー。でも、第二次世界大戦中は、金属の不足により、銅像も壊されてしまったそうです。現在の銅像は、戦後に再度作られたものです。悲しい歴史です。
万力公園管理事務所の建物が右側です。シダの木に少し隠れてしまっていますが、分かりますか?
しだれ桜と、銅像です。
根津嘉一郎銅像の周りの池には、ハクチョウ、アヒル、カモ、コイなどがいます。人間が近寄ると、エサをくれると知っていて、近寄ってきます。
えさは、無人販売所で100円です。両替は管理事務所に行くと行えます。池の中の動物だけでなく、ハトも食べます。
ハトに餌をあげると、こんな感じで、近寄ってきます。万力公園の動物達は、人間が嫌なことをしないので、怖がっていません。小さな子にも、動物が、変な行動をや、攻撃的な行動をとらないので、安心です。
根津嘉一郎の銅像の南西側、万力公園管理事務所の反対側に、ちょっとした遊具があります。休日には、子ども達がたのしそうに遊んでいます。
花も咲きはじめ、万力公園内も、すこしずつ春です。
帰るときには、こんな風に、追いかけてきます。「ばいばい、またね。」という子どもの声がします。
「また来るよー。」
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